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小判と大判の価値を解説!代表的な種類や売却時の注意点も紹介

2023.05.16

日本では江戸時代を中心に、大判小判の貨幣が流通しました。

当時作られた大判小判は、今も金としての価値と歴史的資料としての価値とともに、高い人気を誇っています。

そんな大判小判の価値について、歴史や人気の種類をご紹介します。価値のある大判小判の特徴、売却するときに気をつけたいポイントとともにご説明するためぜひ参考にしてください。

金貨の歴史

金貨は紀元前から生まれた、長い歴史を持っているものです。

日本では飛鳥時代に、金貨の元となった貨幣が作られるようになったと言われています。そんな日本での金貨の歴史をご紹介します。

貨幣は飛鳥時代に初めて作られた

日本で貨幣が作られたのは、今からはるか昔の飛鳥時代と言われています。

当時すでに中国で流通していた、開元通宝(かいげんつうほう)を参考に作られました。

この飛鳥時代の通貨は富本銭(ふほんせん)と呼び、真ん中に正方形の穴が空いており、「富本」と刻まれています。これは「国を富まし、民を富ませる本(もと)」という意味です。

そして、奈良・平安時代の708年に、和同開珎(わどうかいちん)が作られました。それから250年間にわたって、金貨、銀貨、銅銭が登場したものの、結局平安時代の後期に入ってからしばらくは、中国から輸入した通貨を使っていたのです。

戦国時代から貨幣づくりが盛んになった

日本独自の通貨づくりが再び盛んになったのは、平安時代から約600年後の戦国時代です。

戦国時代に金銀の採掘が広がったことで、貨幣の量産ができる環境になっていったのです。 そして江戸時代に入ると、徳川家康によって貨幣制度が統一され全国的に使えるお金として、大判小判が作られました。その後江戸幕府が衰退し、姿を消す頃までさまざまな大判小判が作られたのです。

小判の価値とは

小判はもともと一般に流通させることが目的です。よく大判小判とセットで呼ばれますが、実際に市民が使っていたものの大半は小判のみです。

大判は小判の約10倍の金の含有量を誇りますが、基本的に市場で使うことを目的としておらず贈答用や何か成果を出した武士に対して褒美として渡すために作られたのです。

ちなみに小判は1枚で約4万円の価値があったと言われています。

あくまでも全国で使えるように、多くの枚数を量産するためのシンプルな楕円形のデザインが特徴。 また、小判の種類によっては金の量が大幅に少ないものもあり、同じ小判でも価値が異なります。

価値のある小判の特徴

価値のある小判は、江戸時代以前と以後では、古いものの方が高い価値を持っています。

なぜなら古いものほど現存数が少なく、きれいな状態のものはとても希少です。そもそも製造数が少なく、壊れやすい元禄小判などは、めったに見かけない希少な小判です。

代表的な小判

日本では江戸時代頃まで活発に小判が作られてきました。

その当時の金の産出量や経済状況、権力者などさまざまな影響を受けて、小判のデザインや金の含有量は変わってきたのです。 その中でも今もなお有名な小判を5つご紹介します。

元禄小判

元禄小判は、元禄8(1695)年に作られた小判です。金山での産出量の低下や、貿易によって国外での金銀の取引が増えたことから、慶長小判と比較して金純度を下げた小判として作られたものが元禄小判です。

慶長小判の金は4匁(15g)ですが元禄小判は2.6匁(9.75g)です。

元禄小判は扇に囲まれている桐紋、そして「壹两(いちりょう)」「光次」の印が刻まれた図案が特徴です。

そして裏面には元禄の「元」と、花押などの印が施されています。 元禄金は金品位が低く、破損しやすい小判だったため現存するものはとても少ないです。そのため、状態が良いものは金としての価値だけでなく、骨董品としても値打ちがあります。

慶長小判

関が原の戦いの後に天下統一を狙った徳川家康が全国的に小判を流通させようと考えたものが慶長小判です。

慶長6年に作られ、表面には「壱両」の印と署名の花押、金座の責任者の光次の名前が刻まれています。

全国に通用させることを目的として、慶長6年(1601年)に始めて鋳造した金貨。小判には、表面に額面「壱両」の極印と、金座の責任者である後藤庄三郎光次の名前(「光次」の文字)、および花押(署名)が打刻されています。 金の含有量が多く、高品質な小判の1つとして知られています。

宝永小判

宝永小判は宝永7年に通用がはじまった小判です。表面にはまるで畳の模様のようなたがねが刻まれていて、上下には桐紋と扇の枠があります。

元禄金の金純度がとても低く、折れやすい状態だったことを受け、改善しようとしたものの金の産出が衰退していた時代だったため、小型の小判にすることで金純度を高めました。

天保小判

天保小判は天保8(1837)年から使われていた小判です。表面には時代印の「保」が刻まれています。

江戸時代の後期に入ったこともあり、小判の制作技術が高まったことから見た目にも美しい小判として知られています。

それまでの小判は一枚ずつ手打ちされていたため、表面に凹凸やゆがみがありました。しかし、天保小判はローラーで作られた小判で、なめらかな表面と黄金の美しい色彩が高く評価されたのです。

安政小判

安政小判は安政6(1859)年から鋳造がはじまった小判です。時代印として裏面に「正」の極印が刻印されています。

安政小判も天保小判と同じく、ローラーによって作られているため見た目も美しく、人気があります。 しかし、この時代になると金銀の交換比率が大きくちがったため、日本の小判や大判が海外に持ち出された歴史があります。天保小判や慶長小判と比較して、現存数はとても少ないためコレクターにとってもめったに入手できない希少品として知られています。

大判の価値とは

 

大判は主に贈答用に作られていたお金です。大判の特徴は表面に手書きの墨書があることです。

そのため、小判のように大量生産がむずかしく、市場に流通することがほとんどありませんでした。 小判の10倍以上の価値がある大判も多く、現代では天正大判などのめずらしい種類は数千万円から一億円もの値打ちがつくことがあります。

価値のある大判の特徴

同じ大判でも価値が大きく変わるポイントがあります。それは墨書の有無や状態です。墨書がきちんと残っており、読みやすい状態のものはその分価値が大幅に上がります。

また、大判によっては長く流通していると表面の墨書きが薄くなってしまうため、上書きされているものも多くあります。 どちらかといえば上書きがなく、作られた当時の状態の大判の方が価値は高くなります。

代表的な大判

日本でかつて作られていた、有名な大判を5つご紹介します。小判と比較してサイズが大きく、金の含有量も多かったものが大判です。

天正大判

天正大判(は、天正16(1588)年から作られた大判です。この天正大判こそが、幕府がはじめて公的に作った金貨です。

金と銀の合金を叩いて作っており、大きさは縦17㎝、横10㎝程度です。天下統一が間近だった豊臣秀吉が、彫金師として働いていた後藤家に制作を依頼しました。 とても数が少なく、現存するものは数千万円から一億円という高値で取引されています。

慶長大判

慶長大判は慶長6(1601)年から作られた大判です。慶長小判は発行時期によって、金の品位に違いがあります。

表面には「拾両後藤」という墨書(ぼくしょ)があり、黄金色を出すためにあえて銅を混ぜていたと言われています。

単純に歴史的資料としての価値だけに留まらず、見た目の美しさも意識して作られた大判として今もコレクターに高い人気があります。特に大判は当時の市場にほとんど流通せず、褒美や贈答などの特別なシーンで使われることがほとんどでした。それゆえに、流通数が少ない希少な金貨として知られています。

元禄大判

元禄大判は元禄8(1695)年に作られた大判です。江戸時代の中では製造数が多かったものの、現存する元禄大判はとても少ないです。

慶長大判の金品位が約68%だった中、元禄大判は約52%と金の含有量も大幅に減っています。表の墨書は「拾両後藤」で角張った楕円形をしていることが特徴です。

享保大判

享保大判は再び金品位が68%まで回復した大判です。享保10(1725)年頃から製造されたもので、慶長大判と比較すると少し丸みが強くなっています。

通用されていた期間は1726年から1860年と100年以上もの長期間。そのため表面に「拾両後藤」の墨書がありますが、薄くなった墨書の大判に後藤家が書き改めたものも多く存在します。 そのため、後藤家の何代目が書き直したかによって、ともに書かれている何代目かの表記が異なります。

天保大判

天保大判は1838年頃から流通がはじまりました。見た目はとても享保大判に似ていますが、上下左右に押されている極印のデザインが異なります。

また、天保大判は合計で1,887枚という少量しか作られていません。そのため大判の中でも希少価値が高く、めったに見かけない種類です。しかし、墨書の書き直しがあるものは価値が下がるなど、状態によって変動しやすいところも特徴です。

万延大判

万延(まんえん)大判は、1860年に作られた日本最後の大判。金品位は37%と、歴代の大判の中でも圧倒的に低いです。

そのため相場はほかの大判と比べて低いものの、保存状態が良い万延大判なら数百万円の値がつくこともあります。

見た目は鏨目が入ったものと、熨斗目打ち(のしめうち)の2種類があります。 1860年から1862年のわずか2年間の製造で、恩賞や贈答でだけ使われていました。1874年頃の明治時代まで流通し、その後は現代の小銭、お札の時代へと変わっていったのです。

小判売却時に気をつけるポイント

小判を売却するには、次のようなポイントに注意しましょう。少しでも高価買取のために、おさえておきたい点をご紹介します。

偽物には気をつける

小判は古くから偽物も多く流通しています。簡単に見分けることがむずかしいものもありますが、家にいながらわかるポイントは重さにばらつきがあること。

手にしてみると同じ種類でも重さが違う場合があります。基本的に本物は金品位が決まっているため、重さは共通です。複数枚の小判が手元にあるのなら、実際に重さを測ってみましょう。 精巧な偽物は重さもそろえている可能性があるため、必ずしも同じ重さだから本物とは断定できません。どうしても判断できないものは、小判の買取実績が豊富な専門店に依頼するなど、プロの鑑定が大切です。

取り扱いには気をつける

大判小判は金を含んでおり、落としたりぶつけたりすると傷がついてしまいます。 せっかくの大判小判の価値を下げないためにも、取り扱いには十分注意しましょう。

できれば素手ではさわらずに手袋をするなど、手の汚れをつけない取り扱いが大切です。 また、可能であればケースに入れたりやわらかい布に包んだりと、できるだけ直接手で触れずに衝撃を吸収してくれるような場所に保管してください。

買取実績のあるお店で売る

大判小判が本物かどうかを自己判断するのはとてもむずかしいです。

しかし、むやみに近くのリサイクルショップに売ったり、フリマアプリで販売したりするのは、本来とは異なる価値で売却してしまう可能性があります。そこで大切なのは、しっかりと大判小判などの古銭の買い取り実績があるお店を選ぶこと。

特にきちんと金が含まれているか判断するには、プロの目だけでなく機械を使っての金純度の測定など科学技術も必要です。また、小判の種類によっても価値が変わるため、きちんとどの小判や大判なのか判断ができる、買い取り実績豊富な鑑定士がいるお店かどうかも、売却時に大切なポイントです。

まとめ

まねきやでは大判小判をはじめ、古銭の買取を行っています。プロの目による鑑定で、金としての価値だけでなく歴史的な価値などを考慮したうえで、お客様に納得していただけるような買取価格をご提案します。

店頭買取や宅配買取、出張買取など、さまざまな方法で買取を承っているため、お気軽にご相談ください。 まねきやの大判小判などの古銭の買取についての詳細、買い取り実績は下記のページに記載しています。

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この記事の監修者

水野 政行 | 株式会社水野 代表取締役社長

高価買取専門店 まねきや 最高責任者・鑑定士

今まで 54,750点以上の査定実績。
金・貴金属・宝石全般、ロレックスなどのブランド時計、ブランド品全般、切手、古銭、絵画、骨董品全般の査定を得意とする。
2021年より自社ブランドである「高価買取専門店 まねきや」をリリースし、全国に展開。 「売るはめぐる」をコンセプトにした、買取専門店である当店を一人でも多くの方に体感していただくために、私の約15年間の業界経験の全てを注ぎたいと思っております。