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黄金の国ジパングは本当に日本?東方見聞録に記された内容とは?

2023.08.14

日本は昔「黄金の国ジパング」と呼ばれていた時代があります。
この呼び名はどうやって生まれたのか、なぜ黄金と呼ばれているのかその理由をご紹介します。 また、日本の黄金にまつわる情報とともにご説明しているため、ぜひチェックしてください。

黄金の国ジパングと呼ばれる理由


黄金の国ジパングと呼ばれるようになったのは、マルコ・ポーロによる「東方見聞録」が由来と言われています。
マルコ・ポーロとはイタリアの商人です。1271年から1295年の間の24年もの間、アジア各国を巡りました。
その際に記した旅の記録こそが東方見聞録です。東方見聞録の中で、マルコ・ポーロは日本のことを「黄金の国ジパング」とあらわしたのです。
しかし、実はマルコ・ポーロ自体は日本の島国には上陸していません。あくまでも中国の商人から、日本の話を聞いたうえで書き記したものこそが、東方見聞録に記載されている日本のイメージです。 つまり、事実と合っている部分もあれば、異なる情報が記載されているのです。

黄金の国ジパングと日本の事実があっている点


黄金の国ジパングとは記載があっても、実は東方見聞録に記載されている内容と実際に当時の日本の史実を比較すると、かなり違う部分もあるのです。
事実が合っている部分については次のとおりです。

中尊寺金色堂がモデルの黄金の建物

日本を「黄金の国ジパング」と表現した理由の1つが、中尊寺金色堂の存在があったと言われています。
この中尊寺金色堂は、12世紀に東北地方の奥州で作られた建築物です。阿弥陀如来を祀っていたといわれ、極楽浄土の様子を再現しています。
そのため外見だけでなく、天井から壁一面に至るまで、金箔貼りになっている豪華絢爛な内装をしています。当時の工芸技術を集約して作られた堂で、内部には33体もの仏像が安置されていました。
当時の平泉黄金文化の象徴と呼ばれるとても希少な建築物で、その美しい建築物の話を聞いたマルコ・ポーロは、黄金の国ジパングと表記したのです。
金色の建物といえば金閣寺が有名ですが、実際に東方見聞録が書かれるよりも後に建築されたことから、黄金の建物は中尊寺金色堂と言われています。 中尊寺金色堂の周辺は、当時豊富な砂金が採掘されていたのです。
そのため、建物に使うだけでなく当時の中国である宋にも多くの金を献上していた記録が残されています。 つまり、中国にとって当時の日本は金という高級資源がたくさん採れる、豊かな資源を持った島国というイメージがあったのです。
ほかの国々での金の産出量が少なかった時代に、多くの金をほかの国々へと流通させていたことから、黄金の国ジパングというイメージがついたとも考えられているのです。 ちなみに中尊寺金色堂は、1951年に国宝建造物の第一号に指定されました。さらに2011年には世界文化遺産に登録されました。

日本人の偶像崇拝

日本人の偶像崇拝についても、東方見聞録にくわしく記載されています。
偶像崇拝とは、仏の造形をしたいわゆる仏像を祀り、信仰するというものです。
仏教の中には偶像崇拝が禁止されているところもあり、すべてが当てはまるわけではありません。 しかし、仏教による偶像崇拝を信仰している部分も事実であり、マルコ・ポーロは日本で発展していった仏教の様子を文章として残したのです。
ほかにも、日本では遺体を火葬や土葬するという文化も記載しています。当時は土葬が主流でしたが、宗派や地域によっては火葬をしているところもあったのです。

黄金の国ジパングと日本の事実が異なる点


黄金の国ジパングとして東方見聞録に記された情報の中でも、当時の日本とは異なる情報もいくつかあります。 史実とは違う部分については、次のとおりです。

食人文化がある点

東方見聞録には、日本では食人文化があったと記しています。捕虜を殺し、そのまま食べていたと記されていたのです。
しかし、実際に日本では食人文化は広まっておらず、間違った情報であることがわかります。食人文化があると思われた背景には、当時の飢饉などのまずしい状況があったことや、東南アジア各国の情報が混ざり合い、ほかの伝聞を元に書かれたことなどが、日本には食人文化があるという記載につながったと考えられています。
ほかにも、食人文化があるとの由来は、東方見聞録に「ジパングの人々が外国人をつかまえたときに、金銭との交換を開放条件に出してきた」との記載があります。 さらに「相応の金銭が得られなかったなら、捕虜を殺して料理して食べてしまう。
その席には親戚、友人を招待し、人肉を喜んで食べる。人肉が他の肉よりもはるかにすぐれた味がする」とまで書かれていたのです。 ここまで過激な描写がありつつも、マルコ・ポーロは「ジパングの人々は外見がよく礼儀正しい」とも記載しています。
見た目はおとなしそうで礼儀正しい態度でありながら、食人文化があるという記載は当時、東方見聞録を読んだ人々に多くの衝撃を与えました。 日本は島国でもともと貿易できる地域が限られていました。
謎に満ちた国だったからこそ、誤解が解かれるまでには再び長い時間がかかったのです。 このように東方見聞録に、日本では人を食べるという記載があったからこそ、当時外国から攻め入られることがなかったとまで言われています。 事実ではないものの、食人文化があると伝わった結果が間接的に日本そのものが救われたとも言えるのです。

香辛料が豊かである点

日本だけでなく東南アジア全体の文化も盛り込まれた東方見聞録だからこそ、香辛料が豊かという情報も記載されていました。
実際に香辛料が豊かなのは中国をはじめとする別の東南アジアの国々です。 日本にも海外から香辛料が伝えられたと言われており、日本自体が香辛料を豊富に収穫できる国ではないのです。
このように、資源が豊富で豊かな国というイメージがあったことも、黄金の国ジパングと呼ばれた理由と言えるでしょう。
今では資源の枯渇が問題視されている日本ではありますが、当時はほかの国とはつながっていない島国という謎に満ちた国でした。 それゆえ日本という国はとても豊かで、独自の文化を築いている国としても記載されているのです。

まとめ

日本が黄金の国ジパングと呼ばれていたのは、当時砂金が豊富にとれた地域があったことや、金を使った豪華絢爛な建造物があったことなどが関係しています。
当時はほかの国々がそこまで金を多く産出し、貿易していなかったからこそ、日本の存在はとてもミステリアスで豊かに見えたことから、黄金の国とマルコ・ポーロが東方見聞録に記載したのです。
しかし、反対に東方見聞録には日本には記録として残っていない、食人文化があるとの表記もあり、実際にその目で日本を見ていないマルコ・ポーロの記録だからこそ、事実とは異なる内容も書かれているのです。
ほかにも香辛料が豊かだったという内容もあり、日本以外の東南アジアの国々の情報が混ざり合っていることがわかります。
実は古代のローマやギリシャでも、東洋の国には黄金がたくさんあるところが存在すると信じられてきました。このような背景から、日本は金が多く取れる国というイメージがついたと言えます。 まねきやでは貴金属の買取を承っています。
金は昔から世界中で重宝される現物資産です。 毎日価値が変わっていますが、ここ数年は金の価値が大幅に上昇し続けています。 ぜひ自宅に眠ったままの金や、貴金属を使ったアクセサリーなどがあれば、まねきやにお売りください。 まねきやの金、貴金属買取の詳細は次の通りです。

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この記事の監修者

水野 政行 | 株式会社水野 代表取締役社長

高価買取専門店 まねきや 最高責任者・鑑定士

今まで 54,750点以上の査定実績。
金・貴金属・宝石全般、ロレックスなどのブランド時計、ブランド品全般、切手、古銭、絵画、骨董品全般の査定を得意とする。
2021年より自社ブランドである「高価買取専門店 まねきや」をリリースし、全国に展開。 「売るはめぐる」をコンセプトにした、買取専門店である当店を一人でも多くの方に体感していただくために、私の約15年間の業界経験の全てを注ぎたいと思っております。